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進化論の手短かな証明  イアン・ジョンストン

訳:永江良一


ぼくらは、いつも言われてることだけど、科学時代に生きている。ぼくらは良い生活ができる手助けとなり、問題(特に医学的な苦痛)を解消し、世界について教えてくれることを、科学に期待しているんだ。ぼくらの教育制度、特に中等以降のカリキュラムは、科学とか社会科学というように組織されている。だけど、まったく奇妙なことだが、とても多くの人たち(ニュースによれば北アメリカの大多数の人たち)が認めるのを拒否している一つの重大な科学的真理がある。それは進化という事実だ。でも進化という科学的真理が反対しようもないほど確証されもので、理性の範囲内では実質的に論駁できないってことをできるだけわかりやすく説明しよう。どんな重大な科学的真理も、実際には、発表したり、説明したり、擁護したりするのは、そんなに簡単じゃない。



この主張を立証するまえに、進化って言葉の意味を明確にしておこう。だって、用語の混乱っていうのはありがちのことだからね。ぼくの言う進化は、ごく簡単に言うと、動物や植物の種がそれとはまるで似ていない種から発展したということだ。例えば、まあ、ある種の魚がさまざまな段階を経て、牛やカンガルーや鷲に変形(というか進化)していく過程のことだ。この定義は、注意しておいてほしいんだけど、この過程がどんなふうに起るかってことには、なにも言っていない。だから、進化の概念とダーウィンの自然選択説とは同じじゃない。多くの人が同じだと思っているみたいだけど。単純に用語は効果で定義されているんだ。(どんなふうに効果が生じるかで定義しているんじゃない。それは別の議論の主題なんだ。)

進化という真理を証明する第一歩は、あらゆる生物には生きた親がいなくてはならない、と主張することだ。この点は一世紀半にわたって論駁できないほど立証されてきた。フランスの科学者ルイ・パスツールが、発酵がどんなふうに生じるのか説明し、こうして甲虫が畜糞から自然発生するとか、回虫が超自然的に非生物が発生するといった何世紀も続いた物語を終らせて以来ずっとなんだ。こんな大昔から信じられたことには、まるで証拠がない。生物は別の生物から発生するしかないんだ。生物はもとをたどれば結局はなんらかの起源、おそらくは(原生のスープの中の)非有機物質の化学反応だとか、外宇宙からの侵入だとといった起源をもたなければならないという主張は、この点になんの損害も与えない。それはおそらくは真実だろう。しかし明かなことは、そうした生物あるいは生命物質の起源はきわめて単純な有機体にちがいないことだ。非有機的化学反応が複雑な多細胞生物を生み出したという証拠は(フランケンシュタインのようなサイエンス・フィクションを除けば)まるでないのだ。(最近の実験的なクローン羊は、もちろん、他の羊の生きた組織を基にしている。)

進化について第二の重要な点というのは、生物はお互いにとても異なっているという点だ。思うに、これは自明のことだ。一般的な例をあげてみよう。多くの動物は内骨格構造とよぶものを持っていて、これは脊椎と頭骨という特徴がある。こういう動物を脊椎動物という。ほとんどの動物はこういう特徴を持っていない(これを無脊椎動物っていう)。脊椎動物と無脊椎動物の違いは、両方の動物のサンプルを注意して見る人でなければ認めないようなものだし、ぼくの知るかぎり、進化に反対する人って、ちょっとでも世界を観察すればはっきり分かる事実を認めないものなんだ。

進化についての最後の点は、単純な動植物はもっと複雑なものより以前から地球上に存在した(例えば、無脊椎動物は脊椎動物よりずっと以前に現れた)ということだ。ここで重ねて言うけど、化石からの証拠は動かしがたいものなんだ。残っている最初の化石というのは、とても単純な生物だ。地層が新しくなるほど、多様性と複雑性は増してくる(一定の割合でっていうわけではないけど)。数え切れないほどの地質学的な発掘と調査(例えばグランドキャニオンとか)でも、この一般原理に反するような本物の化石遺物を見つけ出した人はいままでいない(この原理をひっくり返すにはただ一例の本物のが発見されればいいんだけどね)。

さて、この三つの点をあわせると、進化の問題は水も漏らさぬものとなる。あらゆる生物には生きた親がいなければならず、生物が多様で、より複雑な形態より以前により単純な形態が出現するとするなら、複雑な形態は単純な形態から(例えば脊椎動物は無脊椎動物から)生まれてきたに違いないよね。どうしたって、ぼくらの持つ証拠を合理的に扱うには他に方法はない。もちろん(誰かさんがそうしてるみたいに)地層っていうのはとても長い世期が継起したことを表していることを否定して、例えば、グランドキャニオンは数日で創られたと主張することはできるだろう。でも、これって、まあ、脊椎動物は自然に起こった化学物質の結合で一日で出現したって主張するのと同じくらい、科学的知見を踏みにじっているのは確かだ。

進化が真実だとこういうふうに主張するのは、進化がどうやって起こるのかについては、何も言っていない。ダーウィンは(自然選択によってだという)一つの解答を出している。けれど他の解答(変形の過程に神的な作用を見るようなものまで含めて)もほのめかしているんだ。とはいえ、これまでの議論は、進化の一般原理が科学的証拠があって、論理的に議論の余地がないこと、したがって、この考えは言ってみれば重力の法則と同じように正当に確証された神前の法則ということを、論証するためのものだった。進化を否定するっていうのは(ここで明かにしたように)、そびえたつアパートのバルコニーからなにも特別な装置をつけずに飛び降りたら、地面のほうへ落ちていくって事実を否定するのと同じような論理レベルなんだ。科学的な確実性は、現代に進化にたいする拒絶反応がこんなに広まっていることを、なにか判じ物のようにしている(でも、それは別の論評の主題だけど)。現代の自由な民主主義では、もちろん、その結論を拒絶するのは完全に自由だけど、でもこうした拒絶が合理的な科学的態度だって主張するのは、筋道だててはできないことなんだ。






Copyright on Japanese Translation (C) 2004 Ryoichi Nagae 永江良一
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